朝から多忙でした。
実際は昨日からですかね。

0時過ぎまで病棟にいて記録と計画修正やらなんやかんやしてて、
当直中のY先生(研修医)と1時前くらいまでメールをして、
寝付いたのが2時過ぎ。
8時に起床して病棟に行き、新病院の見学へ。
12時に寮に戻ってきて、
その足で昼御飯を食べに行って、
美容院に行ってチョコ売り場へ。
病棟の先生方に買おうかな、
かなりお世話になっている研修医の先生に買おうかな…と
考えているうちに
なんだかめんどくさくなって、
結局自分の分だけしか買わなかった。

買ったのはデメルの猫舌型のスウィートチョコ。
大学4年の時に卒研の先生が
「これおいしいわよ〜どう?」って
勧めてくれたチョコと同じもの。
高いとは聞いていたけど、
一箱1500円とはっ!!
そして25枚入り。すでに5枚食べた。
一枚えーと60円!?大切に食べます…。

研修医の先生にかなりお世話になっているので、
個人的に購入しようかと思ったのですが、
結局買わずじまい。
A先生とは次にいつ会えるのかわからないし
(音信不通だったりする)、
Y先生は普段からチョコを食べていて、
チョコ太りしているから与えてもいいのかな…と思って
思いとどまった。
Y先輩に報告すると「チョコ買ったと思ったのに!」って言われた。
そういう先輩は購入したのかと尋ねると、
「数個買った。でも自分のためのチョコのが多い。
 ゴディバ好きだから買っちゃった」と。
二人ともどっちもどっちな感じですわ。
ぷぷぷ。

Y先生には明日、
「買おうと思ったけど、思いとどまった」
って正直に話してみようかな。
彼の今年の目標は
「チョコを食べても痩せる身体を作る」だから
あげてもよかったのか?
今度チョコの詰め合わせでもプレゼントしようかなぁ…

多忙な夜勤

2003年2月9日
Bモジュールに変わって初の夜勤が、
こんなにハードだとは思わなかった…。
でも初めての夜勤でもここまでやれた!っていう
ある種の達成感のようなものもありました。
とかいいつつ、やり残してることがいっぱいあったりして。
だとしたら申し訳ないなあ…。

夜勤に行った途端、
昨日の夜勤は12時ごろ帰っていったという話を聞いた。
休憩時間も寝ない覚悟で行ったから、
その心がけはよかったかなと思う。

何が多忙だったか…
まずBチームに変わったことによる緊張と、
勝手がいまいちつかめてなかったことで、
無駄な動きが多かったこと。
さらに終末期にある患者の血圧が下がってきて、
まめに血圧測定をしていたこと。
土日日勤であるため、遅出の手が借りられなかったこと、
思い当たるのはこの3つ。
何事も早めに…とフリー業務は早いうちにやってしまっていたから、
のちにAチームの患者が喀血した時には、
早めに済ませて置いてよかったな〜と思った。

Aチームの喀血した方は、
去年夏ごろから12月半ばあたりまで入院していた方。
2月の定期外来受診日の10日くらい前から
御飯が食べられず、
あと少しだからと我慢していたらしい。
緊急採血の結果、腎機能は悪化しており、
元々の疾患自体(多発性骨髄腫)も悪化していて、
緊急入院、即CV挿入したが、なかなか出血が止まりませんでした。
2、3日間じわじわ出血しており、
輸血も一日10単位、部屋で血漿交換もやっていました。
入院も外来も、病院にかかること自体が
あまり好きではない彼なので、
管でつながれ、機械にまみれた部屋の中には、身の置き所がなく、
身体がえらいながらも車椅子に座り、
面会室へ行きたいとの訴えがありました。
金土夜勤のスタッフはその訴えに従って、
部屋に戻ったり面会室に来たりを繰り返していたため、
他の仕事がなかなか進まなかったようです。
昨晩は眠剤を飲み、さらにドルミカムで鎮静をかけ、
ぐっすり休まれていました。
それが4時前になり、喀血。
緊急でレントゲンを撮り、
右側の肺炎、肺出血をきたしていたことがわかりました。
吸引しても引けてくるのま真っ赤な血。
時々プッと噴き出したりして、
吸引するにも最大限の防御をしないと大変という感じでした。
その彼が昼頃挿管することになったようです。
実際したのかどうかはわかりませんが…。

入院してきた時は話せていたのに、
みるみるうちにそんな状態ではなくなりました。
元気だった=普通に話ができていた頃を知っているだけに、
とても哀しい気持ちになります。

Stressful!

2003年2月3日
♪疲れ取れず〜さらに不眠と来たもんだ!
この替え歌をメロディに合わせて歌えた人はすばらしい。
きっとあなたは年齢をごまかしているはず(笑)

これは本当のこと。
疲れているのに眠れなかったり、
寝ても疲れが取れなかったりで、
悪循環極まりない状態でございます…。

モジュールが変わることがこれほどまでに
怖くて恐ろしいものだとは思わなかった。
相手モジュールとはいえ、
患者の顔と名前は一致していたけど、
十分な把握ができていないまま、
担当することになるのは非常に怖いことです。
自分なりの情報収集もしなくちゃいけないわけだから、
気を遣うしねえ…。
前から入院しているのに
全てが今日入院した患者のような感じがするし。
ってなことを言うと、
「夜勤中、みんな寝とるとはいえ、
 休憩の2時間は担当するんだから
 知っておかないと怖いやろ? ん?」
と、「怖いけどいい人」な副師長さんと言われそう…
自分の患者のことで精一杯なのに、
他の患者の把握まではムリ。
なのに夜勤まで日勤があと2回しかなく、
その2回のあいだに連休がある。
ああ、もう勘弁してほしいよ。

ストレスはたまる一方。
もっと発散できる術はないものか…
カラオケ行って多少は発散できたけど、
しばらく頑張れそうなくらいの発散はできなかった。

ムキーーーッ!!
この遣りどころのない気持ちをどおしたらいいんだろう…

明日から

2003年1月31日
何事も「明日から」では始まらないといいますが…
これは本当に明日からです。
だって、2月からなんですもの。。。

2月からモジュールが変わることになったんです。
それは患者の把握とか、
モジュール内の色の違いがあるとかないとかで。
師長が新しいことをしたがる(別に新しいことじゃあないけどさ)人で、
2月から2002年4月に入った1年目が
ごっそり入れ替わることになった。

私は…「怖いけどいい人」な副師長さんと一緒のモジュールになる。
逆だったらえらいこっちゃ(いい人だけど怖い人・笑)。
私のプリセプターとも同じモジュールになる。
とはいうものの、
「もう教えることはないから」って言われた…。
でも何でも話せる相手であることに変わりはない(と思っているのは私だけ?)から、
ちょっと心強い。
一番喜んでいるのが、TMR仲間のY先輩。
モジュール替え決行情報が流れてのY先輩の感想。
「いやあ、もう私はウキウキやよ。
 だってこれで一緒に休み取り放題やん!」
そして今日のコメント。
「私、ここ来てから一回もモジュール替えあらへん」
完全に他人事ですな、Y先輩…

カルテはある程度読んできたけど、
いきなり土日日勤はキツいべや。
と、いまさら言っても仕方ないから頑張るしかないね。
もうあと数時間したら、明日からが今日からに変わるわけだからね。

いいことは最近ありません。
一時期続いた、
というかあらゆることをいいことにしてたんだけど。
こないだA先生と二内のFちゃんと飯食いに行って、
そのあとゲーセンで大ハッスルし、
A先生と対決した。
相当ゲーマーだと思われたな、こりゃ。
でもそれがホントの姿だもん。
ちょっとかわいげないかなって思ったけど。
マジ勝負してたから。ぷぷぷ

ちょっぴり上昇

2003年1月18日
久々にA先生からメールが来た。
ここ2、3日、
勤務は突然変更されたりでバタバタだったのに、
携帯は全く鳴らず、
さびしい気持ちでいっぱいなのでした。
さらにまたも患者が亡くなって、ブル〜になっていました。
そんな時だったので、
余計に嬉しくなったんだけど…。

ブル〜だからいっぱいグイッといきたいと送ったら、
来週あたりに行こうということになった。
さすが早いよ、A先生…。
久々のメールのやり取りだったからそれだけで嬉しかったです。
新しい病棟は忙しいらしい。
脳波やら神経伝道速度やら、小難しい分野に頭を悩ませているみたい。
それで彼もブルーになっているようだ。

はぁ、もう10ヶ月チェックの時期だよ。
このチェックを終えたら第1段階終わりなんだって。
てことは、一応ひとり立ちのような感じ。
あー、もう下がやってくるのかと思うと、
ますますブル〜だよ。
どこがどう成長しているのかわかりません。

近頃のハマリもの

2003年1月12日
何に?ってそれは…

新春時代劇スペシャルで見た、「忠臣蔵」です♪

だって、男のロマンなんだもん。
ドラマで見たからわかりやすかったのかもしれないけど、
ドラマを見て一週間経った頃から
無性に忠臣蔵を極めたいと思い始めて。
早速、忠臣蔵の小説(現代の言葉で書いてあるやつ)と、
忠臣蔵 八人の証言 なる、解説本みたいなものを購入。
まだどちらも読み始めてはいないのですが…。
古文書コーナーにも忠臣蔵関連の史料(敢えてこの漢字で)があったんだけど、
古文書入門という感じだったので古文書は読めなくてもいいや…って
購入するのは辞めた。

1月から病棟が変わったA先生にもこの話をした。
そしたら「僕も結構好き」だって。
そのメールを送った時、思いのほか早く返事が来て、
久々にタイムリーにメールのやり取りができた。
「これからファミレスに行って読書にふけるよ」と返事が来たので、
「いいな〜、ファミレス!私も行く〜!」と言ったら、
「すまんのう。もうファミレスにいる。勉強するからダメ」って言われた。
あまりにすまんすまん、と書いてくるから、
「あんまり気にすると、はげるよ。うふふ」
と返事をしたら、それっきりになってしまった…。
ははは、なにげに気にしてたからなあ。

病棟が変わっても心境は何も変わらない。
転科で他の病棟に行くと、
のほほんと患者と話しているA先生を目撃する。
高齢科・神経内科領域だからそういう時間が大切なのかな。
新しい病棟の話聞かなきゃな〜。
年が明けてから、
既に2人の患者に尿道留置カテーテルを入れました。
これは三内科ではめったにない事態です。
私が入れた2人共が今日お亡くなりになられました…

1人目は元旦に入れた方。
元々は大腸ファイバー目的で来たのだが、
入院したその日から急に熱が上がった。
後のCTで以前に手術した癌が全身に転移していることがわかり、
みるみるうちに弱っていきました。
昨日も意識はあり、
言葉をかけるとそれに対する反応はありました。
ただ、尿が出なくなった…。
今朝SpO2がガクッと下がり、当直医を呼びに行っている間に
あれよあれよと下がって、
SpO2低下から15分後に亡くなられた。
日勤帯になってから解剖を行い、
全身に転移が確認された。
なんと心臓にも転移があったと。

2人目は4日に入れた方。
彼は三内科に入院して600日が経っていました。
完全寝たきりだったのですが、
危機に瀕しては復活を遂げていました。
ですが、年末から肝不全が進み、黄疸が著明になりました。
眼球結膜が黄色。皮膚も黄色。
3日昼から自然排尿がなくなり、
徐々に尿量が減っていきました。
尿は黒く、胃ろうからの排液は濃緑色でした。
ビリルビン尿といわれるものらしいです。
私は今日の日勤帯の担当でした。
午前中はよかったのですが、
午後になってから血圧が下がり、呼吸も下顎呼吸になりました。
娘が声をかけるとレートは上昇し、
復活しつつあると誰もが思って帰って行きました。
私はやることが残っていたので、
ダラダラと詰所に残っていました。
すると17時半からどんどんレートが落ちていきました。
夜勤さんが主治医を呼びに行っていたときに
病棟を出て帰ってきたのですが、
途中で忘れ物をしたことに気づき、
再び病棟に戻るとモニタ画面上には
レート23、呼吸0という数字が表示されていました。
あんなに間延びした心電図波形は見たことありません。
夜勤さんに聞いたところによると、
18:07、家族に見守られて昇天されたそうです。

年が明けてまだ一週間なのに、
2人の方がいなくなりました。
なんだかとても寂しいです。

三内科で亡くなるというのはあまりないことですが、
一人亡くなると、バタバタと続きます。
私が就職してから、10人は越えている気がします。

Zepp TokyoへGO!

2002年12月27日
4ヶ月ぶりに会いに行ってきます。
西川ちゃんに!!

私は夜勤明け、一緒に行く先輩は早出半日年休で出陣です。
かなりアレンジが変わってるらしくて、
かっこよかったらしい。
評判がとてもいいみたい。
2階立見の人もかなりいるらしく、
1階席になっただけでも貴重。
なんかどきどきしてきた〜〜〜!
ファンクラブ限定ライブに行くの初めてだもんな〜〜。
新幹線でちょっくら寝て、
体力温存(つうかそもそも夜勤明けの人間にはないって・笑)して、
お台場ぷらぷらして、土産を買って、
思いっきりはじけて、
ストレス発散して…。
明日の昼には再び元気にここに戻ってこられるようにします。
今まで頑張ってきた御褒美だよっ!
十分に堪能してきます〜♪

…夜勤明けで大掃除が残ってて、まったく寝ていない状況なので、
テンション高め。やっば〜い♪でもここちよいの

楽しい日々・・・

2002年12月25日
なんだかうきうきだった日々が終わりを迎えたようです。
というか気持ちが冷めてしまったというべきか。
楽しかったけど、それ以上の進展はないってわかったからかな〜。
とはいえ、何らかの行動に出たわけではなく、
なんとなくそう思うだけ。

病棟ですれ違っても何の話もしない。
というか話すネタがないのよ。
患者のことであってもあんまり話さなくなった。
もうすぐ三内を離れることもあって仕事に追われているようだし。
次に向けての切り替えが始まってるって感じ。
以前に、
「病棟変わってもプライベートでは遊びましょう」なんてことを言われたけど、
それさえも消えてしまいそうなくらいな勢いです。
今日は露骨に避けたように見えてしまったのではないかと思うようなこともあった。
急いでたから仕方ないんだけど、
目が合ったのに何も言わず、会釈もせず…って感じだった。
今日はいろいろいっぱいいっぱいになってて、
余裕がなかったんだい!
とこんなところで言い訳。
…してもしょうがないか。
A先生にメールを送るのさえためらうようになってきた。
はぁ〜、このままではしこりが残ったままバイバイだなぁ…。

どうしよう???

死ぬということ2

2002年12月19日
何が2なのかはわかりませんが、
なんとなく、もう少し彼の話をしたいと思って。

夜勤で出て行くと、誰も彼の話はしませんでした。
周知の事実といった感じで。
19日は病棟カンファレンスで、
彼の最後に居合わせた同僚もいて、
様子を聞きました。
SpO2が徐々に下がっていって30%台になり、
脈拍が50に落ちた時には、
もう既に呼吸は止まっており、
心臓だけが動いていた状態であったと聞きました。
タイミングとしては一番いいときに旅立たれ、
家族も満足していたとのことです。

A先生も実は今週の月曜日に、
初めて受け持ち患者を亡くすという経験をしました。
A先生の患者はレスピレーターをつけていたのですが、
状態は安定しており、出来事は急に起こりました。
気管切開部から挿入していたチューブが抜けているような感じがして、
看護師が当直医を呼びに行き、
口から挿管しなおしたりしている間に、
どんどんレベルが落ちてきたらしい。
主治医であるA先生と指導医のI先生が駆けつけた時には、
心停止状態だったけど、家族の希望で、
名古屋にいる人が来るまで、
心臓マッサージを続けていたそうな。
約2時間、A先生は心臓マッサージをしていた。
この方は解剖をすることになったのだけど、
レントゲン結果で、患者の肋骨が6本折れていたって。
A先生とI先生はヘロヘロだった。
朝からかなり疲れた顔をしていたよ。

その後、A先生と最初に異変に気がついた新人看護師のMは
かなりへこんでいた。
1年目で何をすればいいのかわからず
何もできなかったという後悔の念が二人には残ってた。

私も彼の最期の瞬間にはいなかったけど、
心の奥底にもやもやしたものが残ってる。
もやもやしているわりには、
気持ちは落ち着いているというか、
平然としているというか、
この仕事をしている限り
こうやってヒトの死に慣れていくのかなって感じがする。
なんだかそれって哀しい気がする…。

A先生は「ゆっくり休んで新たに毎日の仕事に向き合おう」って言ってくれた。
でも一番後悔してるのはA先生だと思う。
周りには言わないけど、ホントは一番つらい思いをしてる。
一生懸命気持ちを切り替えようとしてて、
しかも私を励ましてくれるなんて、
A先生は強い人だよ。

患者の急変が最も少ない三内にいる間に
受け持ち患者が3人も急変したっていうのは
オドロキだけどね★

死ぬということ

2002年12月18日
私の受け持ち患者が昨日重症個室に移り、
今日から重症患者監視表で観察を行っていくことになりました。

当初、挿管して人工呼吸器をつける、という話も出ていたのですが、
最終的には苦しい思いをさせるのは可哀想だからということで、
自然なまま見守ることになりました。
私がいた日勤中は、
声をかければ反応は見られ、
「水が飲みたい、お茶が飲みたい、牛乳が飲みたい」と
呼吸がえらいながらも話せていました。
でもSpO2は80%に上がるのがやっと。
呼吸のたびに「アー、アー」と声が出ていました。

家族が続々と集まり、
最期をどう看取るか相談していました。
でも、なかなか結論は出ず、
午後になって自然なままということが決定しました。

日勤の帰り際、
いろんな先生にいつごろその瞬間はやってくるのかと、
聞いてみました。
ある先生は、「今日亡くなる顔じゃないけど、近いうち」、
ある先生は、「明日までもたない」と
どちらにしても、今日明日中という返事でした。

入院してきた頃は、食事も全量摂取していて、
食べられなくなったのは先週末あたりから。
トイレへも歩いていました。
3連休明けて行ってみたら、
状況は変わっていました。
抗生剤も変えて対処しましたが、改善は見られず…。

23:30、彼は新しい世界に旅立ちました。
23時頃から脈拍が120から50に落ち、
SpO2も60%台から徐々に落ちていったそうです。
家族の方々全員に看取られて、
彼が信じている念仏と共に旅立ったそうです。

彼が入院してからあっという間の2週間でした。
本日より3連休です。
なのに一日ダラダラしちった。
買い物に行って、部屋の掃除をして、
コタツと毛布をいい加減出そうかと思っていたのに。
明日やろ、明日。

昨日の夜、Fちゃんから電話があった。
二内なら日常茶飯事の心カテ出し&受けを
昨日初めて経験した。
その時に二内のドクターを多数見かけたため、
Fちゃんに報告した。
そんな話をダラダラしていた最後に行き着いたのは、
やっぱりA先生の話。
FちゃんとA先生と3人で遊ぶことが多いんだけど、
そのことについてFちゃんは、
「まだこいつらを二人にするには時期が早いかなと思ってくっついてるだけ。
 二内の先輩に話したら、それってさびしくない?って言われた。
 私のことは気にしないで2人で遊んできなよ」だって。
Fちゃんを誘っているのは、A先生なんだってば。
「ランチ行こうよ」って私が誘っても、
「じゃあFちゃんも誘おうか。人数多いほうがいいし」
ってことになる。
私も人数多いほうがいいし、
2人になるとちょっと緊張するし、まあいいんだけど、
そういう話をしたことがないっていうのはさ、
いつも3人だからっていうのも一理あったりするわけ。

夜中に今度はレボ仲間の先輩と3人で御飯をと誘ってみた。
夜中だったからさすがに返事は来なかったけど、
都合はよいのだろうか…?
ダメなら年明けになるから
それはそれでいいかなとは思うけど。
一応、繋がりが残るかなってことで。

にしても16日は運命の日。
先輩と二人でローソンに神のお告げを聞きに行く。
年末、西川ちゃんに会えるのかどうか!
ううう、私は激しく会いたいぞ!!
こんな投げやりでいいのだろうか。
でもあせっても仕方ないからいいんだい!

土曜の夜に久しぶりに名古屋にいる大学の友達に会って、
夏からたまってた話をたくさんしてきた。
会う約束をする前に「精神的にちょっとやばい」とか、
「昨日はやめたいと思った」とかメールをしてたから、
かなり心配してた。
でもちょうどその日にレポートが一段落してて、
私の心境はすっきりしてたんだな。
それ以外にも話すことは山ほどあって、
もちろんA先生の諸々な話もしてきた。

彼女の見解は、
「今すぐ動かなくてもいいんじゃない?
 年明けたらきっと状況変わるから。
 病棟が変わったら向こうも変わるでしょ。
 それでどうなるかだよね。
 その先生がいなくなったらむっくちゃんの心境も変わるだろうしね」。
変わるかなあ、私の心境…。
今は楽しいけど、病棟変わったらどうなるんかなぁ…。

今日も関まで送ってもらっちゃいました。
FちゃんとA先生と3人で昼御飯を食べる約束を元々してたんだけど、
その後関に帰るつもりが迎えの都合がつかず、
A先生とFちゃんが病棟で一仕事を終えてから、
送ってもらうことになりました。
関で飲もうということになり、
20時くらいまで居酒屋で3人でだらだら。

友達感覚で遊んだり、話してるだけでいいかなって思う。
もう一歩先に踏み込んだらこの関係が崩れてしまうような気がするよ。

・・・・・・。

2002年12月6日
結局昨日もレポートはやらず。
はっきりいって昨日はそれどころじゃなかった。
気分が落ちて落ちて。
仕事にも行きたくなかった。
身体がだるかったし、それは寝られなかったせいもあると思うけど、
疲れが抜けないし、ぐっすり眠った感覚がないから、
すっきりしないし。
そんな状態な上にやることたくさんあるし。
どんどんたまっていく…。
病棟学習会の資料はひとまず完成したから、
すっきりするかな〜と思ったら、
11月のカンファレンス議事録を作成していないことを指摘され、
やらなあかんことの数は変わらなかった。

さっきからレポートを書き始めたけど
15行書いてネタがなくなってストップ。
それからここに来てダラダラしてる。
日記ならすらすら書けるのに…。
やりますよ。やりますとも。
今日こそは寝ないでやりますよ。
「看護実践と倫理」のレポート。
なじみのないネタなので、書きようがないんだが・・・。
誰か、ヒントをください。
レポートにヒントなんてあるのか!?

人恋しくて誰かとつながってなきゃいられない反面、
疲れがたまってて一人になりたいと思う今日この頃・・・。
今までは6連勤がつらいと思っていたけど、
6連勤が無くなると、5連勤がつらくなる。
いかんね、そんなことでは。

師走になったとたん、いろんなことにあせってきた。
?病棟学習会の資料作り、
?12月16日までのレポート(今日この後やる予定)、
?クリスマスと正月を一人で過ごすのか!?っていうあせり(をいをい、、、)
などなど。
?であせることなんて今までなかったのに、
なんか、いい感じだと心なしか期待してしまうよね。

あ、もう予定変更だ。
今日は学習会の資料を完成させて、
レポートに少しでも手をつけよう。
それならきっと大丈夫・・・何とかできそう。
ひとつ終われば気が楽になるもんね♪

・・・誰からもメール来ない。孤独感を感じるわ。
この日記を書き始めた時みたいに
プチ引きこもりになってしまいそう。

いいことないかな〜

2002年12月3日
いいこと、あるようでない。
あれだけ続けばよかったのかな〜。
その後?ああ、普通に仲良くやってます。
(いったい誰に話してるんだ、私・・・)
でもさ〜、意識しちゃうよね。
話したいことあっても勤務時間中には話せないし、
例え、業務連絡であっても
看護師の間で話題になってたと思うとさ〜、
あんまり仲良さげには話せない。
女の世界は恐ろしいしね★

結局アホな話をするのは、オフタイムのメールで。
それを翌日になって彼はネタにするもんだから、
またおかしなことになるんだよっ!
・・・ってまたもや誰に言ってるんだ、私。

ま、いいけどね。おもしろいから。

今日もう一人の研修医Y先生が、ボールペンをくれた。
彼は私にいろんなものをくれる。
前は自分が飲むために買ったと思われるミルクティを快くくれた。
その前はカエル付きの水のりをくれた。
(がしかし、その直後ダメにしちゃった・・・かわいかったのに)
そして今日。アヒル付きのボールペン。
何でいつも急にくれるんだろう・・・。
彼ともアホな話をするな〜。
A先生ほどじゃあないけど。
とりあえず明日からアヒルボールペンを使ってみよう。

あ〜〜〜、なんかいいことないかなぁ。
嫌な傾向です。
疲れが腰に来始めました。
椎間板ヘルニアにはなったことはないけど、
腰を曲げるとその時のような痛みが走る(ような気がする)。
何かがつぶれているような、ズキッとした痛み。
看護師にとって腰痛は致命傷。
実習をしていた頃から疲れがたまると起こってた。
ゆっくり休めばなくなるはずなんだけど・・・。
悪化しないことを祈るのみです。

近頃、ほぼ毎日日記を書いていますが、
日々思っていたり、考えたりしていることというよりも、
その日に起きた出来事をずるずると書いているような気がします。
「だから何?」みたいな。
もっと高尚なものを目指したかったのに・・・。

夏、私が壁にぶつかっている頃に
記録がなかなか終わらなくて一人残ってやっていたことがあります。
師長さんも残っていて、何を悩んでいるのか話していた時に、
A先生もその場にいて聞き耳を立てていました。
ていうか、普通に聞いててもらっても別に構わない話だったんだけど。
一通り話が終わったあと、
A先生に「むっくちゃん、詩人になれるよ」って言われました。
おそらくこの出来事、いつぞやの日記で書いたはず。
その頃は小説を書けるくらいいろんなことを考えていて、
A先生のその一言から、
気持ちをすっきりさせるために久々に書こうかなって気分になりました。
だがしかし、、、もうだめですね。
書こうと思った時に書かないと。
その少し前には、
大学時代の一人暮らしをネタにして
ちょびっとシリアスな話を書こうかなと思っていたんだけど、
ハハッ、忘れちゃった・・・。
ネタと流れそのものを。
書く時は一気にやらないと、
結局尻切れになっちゃうしねぇ・・・。
そんな一気に書く時間なんてないよ!

ああ、今日の日記もまたあんまり意味のないものになっちゃった。
つかの間の詩人になるためのスペースがココなんですが、
詩人の心を忘れてしまったということです。
だらだらしたものしか書けません。
どうもすみません、、、
私にはそんな気は全然なかったのだが、
周囲の人々に言われ始めた。
「むっくちゃん、よくあたるね〜」
やっぱりあたってますか?
そう思われるようになってはおしまいです・・・。

確かに?糖尿病性腎症&心不全の方が急変した時、
   ?緊急入院でレスピレーターついた方が運ばれてきた時、
   ?間質性肺炎&心不全の方が挿管することになった時、
この3つの現場に必ず夜勤として遭遇している。
しかも、?と?はどっちもA先生の患者。
?の時も後学のためにとA先生は病棟に。
A先生も全ての現場に遭遇。
さらにA先生は
自分の受け持ちの患者がMRIの時に使う造影剤でショックを起こし、
ICU送りになるという経験も持っている。
急変の少ない三内科でこれだけ高確率(ていうか全部やん!)に遭遇するのは、
あたっている証拠なのかも。
私よりA先生の方が嵐を呼んでいる気がする・・・。

今日は夜勤明けで?の現場にいた。
勤務時間は終わっていたけど、
挿管するところを見たことがなかったので、
無知ながらも患者の脈を触れながら見学。
セデーション(鎮静、要するに麻酔をかけること)をして、
そのあと気管支内視鏡を使って気道の様子を観察する。
どうやら気道がむくんでいて閉塞しかかっていたようだ。
SpO240%台まで落ちていたから、
チアノーゼがひどく指先は紫〜白っぽくなっていた。
アンビューバッグでつなぎながら喉頭鏡で口腔内から気道を観察。
口腔内からは入りづらそうとのことで鼻から挿管することとなる。
呼吸は全てレスピに乗せていた。
でも自発呼吸あったような・・・。
詳しいことはよくわからないから、
また今度A先生に聞いてみよう。

にしても今日は疲れた・・・。
関に帰る元気もないわ。
でも腹が減った。
夕飯食べにどこかへ行こうかな・・・。
A先生にその後はどうかとメールを送ってみたが、
忙しいようで返事はない。
返事があれば御飯誘おうかなと思ったけど、
今日はそれどころではないよな〜。
また今度誘おうっと。

Leave me alone!

2002年11月29日
ノーベル化学賞受賞の田中さんが、
外国人記者クラブでの記者会見で言った一言、
「ほっといてほしい・・・」の英訳。
まさに今はそんな気分です。

二内の友人F、二内初対面のIちゃん、A先生、私の4人で、
F宅でちゃんこ鍋をした。
買い出しをA先生と私が担当することになったのだが、
どちらも優柔不断・・・
「何鍋がいいんだろうね?」
「こんなん入れる?」などと頭を悩ませること30分。
残りの2人も合流し、10分で買い物が終わる。
最初から4人で来ることにすればよかったのに・・・
と思いながら、F宅へ向かう。

3人で二内話で盛り上がっていて、私はほとんど蚊帳の外。
終わってから「二内の話ばっかりで盛り上がっててごめんね」って
Fからメールが来たけど、、、。
恋愛のタイプの話(押されるタイプか、押すタイプか、などなど)になると、
A先生が何かを答えるたびに、Fが私の様子を伺う。
事あるごとにさりげなく「このカップル」的呼び方をされ、
ま、私は聞いていない振りをして流したけどさ。
そういや、A先生も知らない振りして流しとったな・・・。

FはA先生も私のこともよく知っているから、
いじりたい気持ちはよくわかるんだけどさ〜、
チクチクさりげなくいじられるのって私は好かん。
むしろほっといてほしいよ。
2人の間でそんな話はしたことないって
散々言っとるのに、
早くどうにかなれみたいにつつかれるのって、
気分悪いです。
彼女としては、
「こいつらにはきっかけを与えてやらんと進展しない」
(実際そういうタイプの2人だと思うけど)
と良かれと思ってしていることなんだろうけど、
私はそれを「余計なお世話」としか今は捉えられない。

ノーベル賞の田中さんほど関わっている人は多くないけど、
「Leave me alone!」って叫びたいっ!!

明日は夜勤。
A先生は2ヶ月ぶりに髪を切りに行くらしい。
その帰りにちこっと病棟に寄るって言ってた。
休みの日なのに、勉強家だね。
また、有意義な読書でもするのだろうか・・・?
いやあ、今日はほんとに何もない一日だったわ。

ただ、関から原チャで帰ってきてめっちゃ寒い思いをしたのに、
寮に帰ってきたら停電で暖房もあったかい飲み物もなし・・・。
それだけが引っかかった。

ホント何もない・・・。
毎日何かしらイベントがあったから、
ちょっと寂しい気がするけど、
ま、いっか。

1 2 3 4 5 6 7

 

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

日記内を検索